私は自他共に認める非常に煮えやすい性格です。
何度も打ち負かしてくる相手には、頭に血がのぼります。
画面に向かってありったけの暴言を吐いています。
これをきれいな言葉で表すなら闘争心です。
また、絶対に勝てないと思った相手には二度と挑みません。
悪く言えばチキン逃げ、綺麗に表すなら菩薩です。
闘争心がなければ強くなれない
むき出しの闘争心は非常に嫌われます。見た目が醜いからです。
藻掻き足掻き、感情が流れるままに向かっていくからです。
でも、その闘争心が消えればもう上に上がれないと思います。
対戦相手に礼を尽くすのは、当然のマナーかと思いますが、
私から言わせてもらえば「負けて悔しくないのか? 憎くないのか? 腹が立たないのか? 勝ちたくないのか?」と聞きたくなります。
どんなに負け続けても、DOAを止めない理由はここにあるのかもしれません。
ですが、このままではキャリバーと同じ道をたどります。
アレはもう、キャラそのものに憎悪しか抱けなくなり、このままでは精神的におかしくなりそうだったので辞めました。
闘争心を支えるものは、勝つ可能性
完膚なきまでに叩きのめされた場合は、立ち上がる力はありません。
でも向かっていくということは、たとえ幻想であろうと勝つ可能性を見出しているからです。
それでも負けるのですから腹が立ちます。
特に上から目線で、先生ぶっている対戦相手には。
そういう態度を取る奴は分かります。
教えてくれなんて言った覚えはないんだから、ふざけるなと言いたい。
つまり、挑発に乗ってしまっているとも言えますね。
闘争心=挑発に乗る単細胞、てことかもしれません。
モチベーションを保つ燃料は、闘争心か?楽しむことか?
両方持てばいいのでしょう。
闘争心に酔いしれ、その感情に快感を覚えるようになれば本物です。
どちらか一方しか考えられませんでしたが、
このブログを書いている時に考えがまとまってきたようです。
つまり、戦闘狂になればいいってことですかね。
もともとスマートにやって強くなれるなんて思ってませんから。
その両立が出来る可能性をDOAに見出そうとしています。
以上、答えが出ない自問自答でした。