「この俳優、頭悪いー」「台詞くらい覚えろ」
と某俳優が叩かれていると芸能関係のニュースで耳にしました。
その方はかなりのベテランで「大御所」と言われている人です。
台詞を殆ど覚えられないことが発覚し、ネットでは中傷の荒らし。
ちょっと待ってください。
私たちはその俳優の記憶力を見たくて劇場に足を運ぶのでしょうか?
銀幕スターたちは、映画やテレビ(以下、「映像」とします)で輝きを放ちます。
そこに登場する人物たちはもちろんフィクションです。
荒唐無稽な者もいれば、リアリティある者もいます。
観客はそんな彼らを見て、物語の世界に入り込むのです。
そのためには「説得力」が必要です。
物語の緻密な設定ももちろん大事ですが、役者の演技力やそれらを指導する監督の手腕も問われます。
役者は監督の求めるもの以上の演技を銀幕で魅せるために奮闘します。
そんなことは当たり前だと思うでしょうか、ここからが大事。
銀幕で映しだされた映像をみるまでの過程に置いては、どのような手法が取られようと構わないのです。
そこにいる人物=役者だと魅せるのは、役者自身の度量・器・経験などなど、様々あります。
フィクションの人物を説得力のある、まるで本当にいるかのように演じるのは大変です。
大変ならば、周りのスタッフが補えばいいわけです。
台詞のカンペ、ワイヤー、CG、アクションの吹き替え(スタント)などなど、どれも使ってもいいんです。
映像で魅せることが全てです。
フィクションを繕っても役者自身が魅せることが出来ない場合、とても薄っぺらくなります。
「説得力」は役者の命のようなものです。
いい役者なのか大根なのかは、全てこれにかかってます。
そこに知識や教養はあまり関係がありません。
監督の意図することを汲み取る理解力やコミュニケーション能力は必要ですが、別個のものと思います。
最近は、役者にアクション性や教養を多く求め、それを銀幕に出して欲しいというファンが多い傾向にあります。
確かにそれができるに越したことはありませんが、それで「銀幕スター」が生まれるのでしょうか?
どんなフィクションにも説得力を持って演技をし、様々なアクションも教養も兼ね備えた役者になれ…
そんな無茶なものを求めているように思えてなりません。