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著名人の考察は全て参考になるのか?

政治ジャーナリスト、経済専門家など

彼らの意見を聴くとき、

「この人は第三者的な中立の立場で分析して我々に伝えてくれているのだ」

という先入観をまず持つと思います。

それは大きな間違いにつながります。最悪の場合、その人の思想のクローンが植え付けられてしまい、

絶対に正しいのだと信じてしまう。いわゆる神格化してしまいかねません。

心構えとして、彼らが本当に中立の立場で話しているのか、主観で自分の考えを綴っているだけなのかを見極める必要があります。

 

いきなりオリジナリティな例えを持ってくる人に注意

今まで聴いたこともないような斬新な例えを枕詞にして論議を展開する人がいます。

それは「今から主観で分析しますから、信じてください」と言っているようなものです。

これから話す難解な内容をわかりやすくするために例えを述べるなら差し障りはありません。

イメージをしてもらって理解してもらおうという意図だからです。

そうではなく、誰が聴いても「それは関係ないのではないか? いう必要はあるのか?」と取れる例えを好んで使う著名人を、テレビや雑誌などでみかけるでしょう。

文章なら簡単にわかります。

例えが現れたらその文を外して読んでみてください。

もしも文脈が変わってしまうなら、解説する上で必要な例えとして書かれたものです。

文脈が全く変わらない必要ないと思われる例えなら、主観で考えを述べようとしています。

 

自分の考えだけを述べる人に注意

これはわかりやすいのですが、著名人になると何故か中立の立場で話しているように聞こえるから不思議です。

事実とはことなる論議を展開し始めたら、それはその人の考えが入ったもの、悪く言えば憶測です。

「考えられますね」で締めてしまうパターンは、「私の見解は正しいから、貴方も信じなさい」と言っているようなもので、ただの宗教の説教です。

「考えられますね。みなさんはどうですか?」

「という考えもありますが、こう考えることも出来ます」

と展開してくる場合は、結論を聞き手に投げかけているので説教になりません。

しかし、

最後の最後にやっぱり結論を述べるような場合、かなり巧妙な説教というか懐柔です。

いつのまにか、その人色に思想が染まってしまいます。

「最後に聞き手側に投げかける手法」(だろうか? みなさんはどうお考えだろうか?)も、注意する方がいいでしょう。

話している最中に考えさせないということは、主観で言いたいことだけ言って、著名人が狙った印象を植え付けようとしてる可能性が高いです。

 

事実・出来事を先に述べ、「これは私の意見ですが」とはっきり前置きする人は参考になる

私の意見という枕詞を使うことで、聞き手側も自分の意見を考えようとします。

例えその著名人が100%正しい意見を言っていたとしても真逆の考えを持つ人だっているでしょう。

そうやって聞き手側にも考えさせる機会を、論議展開中に与えてくれる人は、決して洗脳なんて考えていません。

だって、いつ反論や反発が来たっておかしくない状況を自ら作り出しているのです。

先に挙げた注意人物たちの場合は、言いたいことだけ全部言って終わり。気がついた少数の人が反論を言っても、大多数の人は信じきってしまうものだから、たとえ正しい論証でも反感を買ってしまう。

ですから、考えさせる機会をいつも与えてくれる著名人は少なからず覚悟があります。

 

インタビューなどを受けて「貴方の考えを聴かせてください」と言われて

それに主観で答えるならまだわかりますが、

解説や分析を行う人が主観で論議を展開し、あたかもそれが正しいと信じこませるようなやり方は、

その著名人の思考のクローンになりかねません。

特にテレビによくある手法です。